大判例

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大津地方裁判所 平成5年(わ)425号 判決 1994年4月06日

主文

被告人を禁錮一年に処する。

この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  平成五年一月二〇日午前一時五八分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、大津市大江二丁目二番一号地先道路を京都市方面から草津市方面に向かい時速役五〇キロメートルで進行中、そのころ疲労や薬物等の影響から眠気を覚え、前方注視が困難な状態になつたのであるから、直ちに運転を中止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、漫然と前記速度のまま進行した過失により、同日午前二時零分ころ、同市大江二丁目二〇番九号地先道路に至つて、仮眠状態に陥り、折からその前方で信号待ちのために前車に引き続いて停止していたAことB(当時五九歳)運転の普通乗用自動車後部に自車前部を衝突させ、その衝撃でAことB運転車両を前に押し出してその前方の普通貨物自動車に追突させ、よつて、前記AことBに対し加療約八か月間を要する左肋軟骨損傷等の傷害を、被告人運転車両の同乗車C子(当時五四歳)に対し加療約五か月間を要する胸部打撲、左膝打撲挫滅創等の傷害をそれぞれ負わせた

第二  前記日時場所において、前記のごとく交通事故を起こしたのに、右事故発生の日時及び場所等法律の定める事項を直ちに最寄りの警察署の警察官に報告しなかつたものである。

(証拠の標目)《略》

(救護義務違反を認定しなかつた理由)

一  判示第二の所為にかかる公訴事実は、「被告人は、平成五年一月二〇日午前二時零分ころ、大津市大江二丁目二〇番九号地先道路において、B及びC子に傷害を負わせる交通事故を起こしたのに、直ちに車両の運転を停止して、同人らを救護するなどの必要な措置を講ぜず、かつその事故の発生の日時場所等法律に定める事項を直ちに最寄りの警察署等の警察官に報告しなかつたものである。」というにある。

しかるに、弁護人は、被告人は、事故発生直後に、交通事故そのものや負傷者がいることを認識していなかつた可能性があると主張するので、これらについて判断する。

二  前掲各証拠によれば、被告人が、公訴事実記載の日時場所において、B運転の車両に被告人運転車両を追突させる交通事故を起こし、その結果右Bや自車の同乗者C子に負傷させたこと、交通事故の原因は被告人の居眠り運転であることは優に認められる。

そこで、Bの警察官調書(甲一七)、C子の警察官及び検察官調書(甲二一、二二)、平成五年一月二〇日付及び同月二三日付各犯罪捜査復命書(甲二、三四)を総合すると、被告人運転車両は、京都市方面から草津市方面へ向けて進行中、ブレーキをかけることなくB運転車両に追突し、その衝撃で横滑りした結果、従来と逆方向の京都市方面へ向けて車首を向けて一旦停止し、その直後に同方向へ進行したと考えられること、衝突の瞬間、前記Bは「ドーン」という音を聞き、強い衝撃を体に感じ、B運転車両が前に押し出されてしまつたこと、被告人運転車両の同乗車のC子はそれまで寝ていたのであるが、衝突の瞬間に強い衝撃を体に感じ、胸部が痛み出したことが認められる。更に、平成五年二月一五日付実況見分調書(甲一六)によれば、事故後の被告人車は、前部ボンネットが浮き上がるように車体前部中央が大きく凹損し、前部バンパー、左右前フェンダー、ラジエーターグリル等が壊れ、左前照灯レンズは割損、左前方向指示器は脱落しており、左前面部にも大きな凹損があり、右前角部のバンパーも外側にはずれるなど、全体的に相当程度破壊されていること等が認められる。以上によれば、衝突時、被告人は相当の衝撃を感じたはずであると考えられる。しかも、平成五年二月五日付犯罪捜査復命書(甲一五)によれば、事故現場から被告人が降車した地点までは約一六〇〇メートルあることが認められるが、前記C子の各供述調書、Dの警察官調書(甲二六)、Eの警察官調書(甲一八)によれば、被告人は、その間新たな事故を起こすこともなく、道路に沿つて走行したこと、石山駅付近で降車した後もこのような場所にいることや、車が壊れていることに対して、それほど驚いた様子もなく、タクシーを拾つて帰宅していることが認められる。これらによれば、被告人は衝突前は仮眠状態であつたが、衝突の衝撃で覚醒し、事故の発生を認識していたのではないかとの疑いが濃厚に認められる。なお、前記のとおり、被告人は衝突前は仮眠状態で、衝突後瞬時に横滑りして車首が逆方向に向いてしまつたため、被告人の視界にB運転車両が入らなかつた可能性は十分認められるが、事故や負傷者の発生の認識は、必ずしも確定的であることを要せず、なんらかの事故があつたことを認識すれば足るから、被告人が衝突時に覚醒し、意識を回復していたとすれば、その認識に欠けるとはいえないであろう。

しかしながら、被告人は、捜査段階の当初から公判廷を通じて、「事故現場の約四〇〇メートル手前の地点を通り過ぎた以降の記憶が全くなく、同乗者のC子が『苦しい、車を停めて。』という声で我に帰つたときには、大津市粟津町一五番地先道路を走行していた。そこで、右折してすぐの所に車を停車し、辺りを見回して石山駅の近くであることがわかつた。車を降りて、初めて車が壊れていることを知つた。」と供述しており、公判廷での供述態度や同様の説明を夫やC子にもしていることからみて、ことさら虚偽を述べているものとも思えない。したがつて、事故前後の被告人の内心状態に関する記憶は全くないと認めざるを得ず、前記C子の各供述調書によつても、被告人は、衝突後C子が大声で「停めて。」というまでの間、全く無言で運転していたというのであるから、事故直後の被告人の言動により、その内心状態を推認することも不可能である。しかも、前記Eの警察官調書によれば、被告人らは本件事故現場をタクシーで通りかかる際右事故について他人事のように驚いた様子で眺めていたことが認められ、事故後比較的早期から前記の記憶のない状態が続いていた可能性が高い。

しかるに、前掲各証拠によれば、被告人は従来から心臓病の持病を有し、事故前日は風邪をひいていたので服薬して仕事をし、事故当時は疲労と眠気が相当たまつていたことが認められ、また、平成五年一月二二日付犯罪捜査復命書(甲三五)では、事故により被告人も右前額部を打ちつけ、額が赤く腫れるという負傷をしていたことが認められる。これによれば、衝突時に覚醒したとしても、疲労や額部を打つた衝撃により、事態を認識できない状態になり、そのまましばらく無目的のまま単に道に沿つて運転していたという可能性を全く否定することができない。したがつて、被告人が事故現場から石山駅付近まで運転する途中、被告人には交通事故や負傷者の発生について認識があつたとの証明はないことになり、右行為について救護義務違反を問うことはできない。

三  次に、前記のとおり、被告人は大津市粟津町一五番地先付近道路では意識を取り戻していたことは明らかであり、その後の行為につき救護義務違反を問うことができるかにつき検討する。

前記のとおり、被告人は、同乗者C子が「苦しい、車を停めて。」と言うのを聞いており、その後石山駅付近で降車した後、自己運転車両が大破しているのを確認しているから、少なくとも何らかの交通事故を起こし、その結果同乗者が負傷していることを認識したといえる。

関係各証拠によれば、被告人はその後C子と一台のタクシーを拾い、それぞれの自宅に帰つたが、その際、被告人はC子に「朝になつたら病院に行こう。」と告げ、現実に同じ日の午前八時四〇分ころ同女宅へタクシーで迎えに行き、滋賀医科大学付属病院に連れて行つたこと、結局同女は判示第一の事実記載のとおりの受傷で他の病院に入院したことなどを認めることができる。

そこで検討するに、道路交通法七二条一項の救護の義務の内容は、被害者の負傷の程度、年齢、健康状態、事故時の状況、時刻、天候等を総合して通常人の社会通念に照らして判断されるべきであるといえる。

本件についてみると、被告人の警察官及び検察官調書(乙三、四、六、七)、C子の警察官及び検察官調書(甲二一、二二)、Fの警察官調書(甲二九)、Eの警察官調書(甲二八)によれば、C子は石山駅付近で降車した後は痛みもやや治まり、被告人が「大丈夫か。」と問いかけたのに対し、「大したことはない。」というように答えたので被告人もやや安心したこと、C子は一人で歩ける状態で、停車した被告人車をパーキングチケットエリアに移動させる際、そばにいた男性数名とともに車を押す手伝いをしていること、タクシーで帰宅する際も被告人や運転手と普通に会話していたこと、C子は帰宅後初めて左足にも負傷していることに気づき、横になつたが段々身体の痛みが強くなつてきたことなどの事実が認められる。これによれば、C子は受傷直後は意識もはつきりしており、一人で十分歩けたものであつて、通常人の目からみてさほどの重症と映る状態ではなかつたばかりか、自ら「大したことはない。」と言つていたものであり、事故時が深夜であつたことも考えれば、被告人においてC子を一旦自宅に送り届け、夜が明けてから病院へ連れて行こうと考えたとしても、あながち不当であつたと評価することはできない。確かに、交通事故の場合、見た目には外傷がなくても、内蔵等に損傷がある場合もままあるから、大事をとつて、すぐに医師の診察を受けさせる方が良いとはいえるが、法的義務としてそこまでを要求することはできない。

以上によれば、被告人が降車してから同乗者に対してとつた措置は一応救護義務を尽くしていたというべきであり、救護義務違反を問うことはできない。

なお、もう一人の被害者Bを放置していたことについては、被告人が交通事故を起こした場所等を認識していないとすれば、石山駅付近から事故現場まで戻つて救護することは不可能と考えられ、やはり救護義務違反は成立しない。

ただし、被告人は、降車した際、自己の車両が大破していることから、何らかの交通事故の発生は認識したと考えられるから、遅くとも同乗者のC子を自宅に送り届けた後、最寄りの警察署の警察官に事故の発生を報告する義務があり、被告人には報告義務の違反は認められる。なお、この際の報告内容については、被告人が事故の日時場所をはつきり認識していなかつた場合は、事故に気づいた日時場所と事故の詳細を覚えていない旨を報告すれば足ると考えられる。

(法令の適用)

罰条 判示第一の所為につき

被害者B及び同C子の各傷害ごとにいずれも刑法二一一条前段

判示第二の所為につき

道路交通法一一九条一項一〇号、七二条一項後段

科刑上一罪の処理

判示第一の罪につき

刑法五四条一項前段 一〇条

(犯情の重い被害者Bに対する業務上過失傷害罪の刑で処断)

刑種の選択 判示第一の罪につき 禁錮刑を選択

判示第二の罪につき、懲役刑を選択

併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条、四七条但書(重い判示第一の罪の刑に法定の加重)

刑の執行猶予 同方二五条一項

(量刑の事情)

本件は、疲労等のため眠気を感じていたにもかかわらず、あえて運転を続け、その途中で居眠り状態となり、前車に追突するという交通事故を起こし、その後、負傷した同乗者を自宅に送り届けたものの、警察への事故報告を怠つたという事案である。運転前に体調を整えておくことや、それが不能の場合は運転を中止することは運転者として基本的な注意義務であり、これを怠つた被告人の過失は重い。また、万一、交通事故を起こした場合、落ちついて負傷者救護等の処理を行うことは、運転者として当然の心得であり、被告人の場合、負傷者があることを知りながら逃げたとまでは認められないが、結果的に十分な措置を取つていないことは事実であり、運転者としての適性さえも疑問に思われる。各被害者の負傷結果も重く、これらによれば、被告人の責任は軽視できない。

しかし、いずれの被害者とも示談が成立したこと、被告人は本件を反省し、今後は自動車運転をしないと決意していること、被告人には心臓病の持病があり、体調が優れないこと、夫において監督を期待できることなどの事情を考慮すれば、今回に限り刑の執行を猶予することが相当と考えられ、その他本件に現れた事情を総合考慮の上、主文のとおり量刑した。

よつて、主文のとおり判決する。

(出席した検察官 江口博通 弁護人 遠藤幸太郎)

(裁判官 坪井祐子)

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